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現場リーダーが「この先を考える当事者」になれない、境界線の存在
「参加している」ことと、「当事者として立つ」ことの間にある深い溝
「これから一緒に進んでいくために、方向性を揃えよう」
そんな名目で、リーダーや社員が一堂に集められることがあります。
しかし、その場がすぐに「この先をどうするか」を自分の頭で考える場になるかというと、必ずしもそうではありません。
そこには、席には着いているが「当事者として立てていない」という宙吊りの状態が生まれています。
「言われたから来た」という境界線
参加はしている。話も聞いている。促されれば、ときどき発言もする。
しかし、自分がどのような立場で何を考えるべきなのか、何を引き受ける可能性があるのか――。
その実感が掴めないまま、多くの人が「呼ばれたから来た」という状態から踏み出せずにいます。
その結果、人と人との距離感も定まらなくなっていきます。
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誰が、どこまで踏み込んで考えるのか
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誰が、どこまでの決定権を持っているのか
この境界線が共有されないままでは、誰もが「いまはまだ言わない方がいいだろう」「決める立場の人に委ねよう」と様子を伺い、議論は浅いところを回り始めます。
「一緒に考えている」感覚を阻むもの
「話している」実感はあっても、「一緒に考えている」という手応えが育たない――。
ここで不足しているのは、個人の意欲ではなく、「何を議論してよいか」という前提の共有です。
議論の土俵が曖昧なままでは、どれほど時間をかけても当事者意識は芽生えません。
むしろ、「様子を見よう」という沈黙の積み重ねによって、「当事者になれないまま、その場に居続ける状態」が組織の中に固定化されてしまいます。
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